線のカタチ -Linework-
会場|√K Contemporary (新宿区南町6)
会期|8.28 (sat) – 9.20 (mon)
*企画展最終週の9.19(sun)、9/20(mon)は休まず営業いたします。
出展作家|赤羽史亮、池田剛介、今井俊満、小野理恵、熊谷直人、し-没、篠田桃紅、たんぱく質、津高和一、浜田浄、比田井南谷、藤松博、ペロンミ、星川あさこ、弓指寛治、Sohyun Park、ほか
作品点数| 150点余り
協力|天来書院、CAVE-AYUMIGALLERY
本展の作品や展示風景は、以下OculaとArtsyにオンライン展示されております。
Artsy ページ|https://www.artsy.net/show/k-contemporary-1-linework
*新型コロナウィルス感染症対策について
新型コロナウィルス感染症の拡大状況により、開催内容が変更となる可能性がございます。何卒ご了承ください。
ご来場の際は、マスク着用及び検温、手指のアルコール消毒に御協力ください。
この度、√K Contemporaryでは、「線のカタチーLineworkー」展を開催いたします。
本展は、絵画作品における線の概念に注目し、既成の定義や概念に捉われず、自由に線を描く事をテーマに「Drawing」という表現作品に言及していく展覧会です。
展覧会の企画にあたり、私たちは書家・比田井南谷の作品から多大なインスピレーションを受けました。南谷は、文字を超えた線の形象を追求し「心線」という書芸術の新境地を開きました。長く続くシステムを軸に、しかしそれらに捉われることなく新しい概念で一つの書芸術を確立し、前衛書の先駆者としてその功績は今に続きます。
線描や素描というように広く「線画」と解釈されることが多い「Drawing」は、実は、作家やジャンルによって解釈も表現方法も様々です。南谷のように表現者として一つの枠に捉われることなく、自由な発想で自身の概念を超えて新しい表現の創出につながることを期待して本展を企画いたしました。
その線が「芸術になる瞬間」を会場でご覧いただけましたら幸甚にございます。
【本展の見どころ】
・書家の描く「線」
本展の企画のベースとなった前衛書の先駆者、比田井南谷の作品は、書でありながら、既存の文字の概念を超越した唯一無二の芸術作品です。「心線」と呼ばれる南谷の表現はまさに絵画的で、その制作手法も独特です。本展では、制作にあたって描かれた大変貴重な下図も展示いたします。更に、独学で書を学び、抽象表現を極め、今年3月に逝去するまで精力的に作品を描きつづけた篠田桃江の作品も出展。様々な視点から「線画」を検証します。
・戦後の現代美術の中のドローイング
戦後から現在に至るまでの美術史の中で、多くの作家がドローイング作品を描いてきました。本展では、藤松博、今井俊満、津高和一、浜田浄等、戦後から現代への潮流を担ってきた作家たちのドローイング作品を出展します。戦後の読売アンデパンダン展への出品をつづけ、前衛的作風で知られた藤松博は「ひとがた」や「旅人」などで知られていますが、同時に繊細で美しい多くの素描作品を残しました。本展では50年代~80年代のドローイング作品を出展いたします。
浜田浄は70年代に版画制作で画壇に登場し、80年代にはがらっと作風をかえたDrawingシリーズを発表しました。このシリーズは、紙に鉛筆で一本一本線を重ねていき、鉛の面を創り出すという「物質変容」を表現したシリーズです。紙とは思えないメタリックな光沢ある面からは鉛筆の線を想像することはできません。気の遠くなるような作業の工程をその作品から是非ご覧ください。
・今後が期待される中堅から若手作家まで、それぞれの「線」
本展ではジャンルや世代を超えた多くの作家がとらえる「線」のカタチを表現した作品を一堂に会します。「自死」や「慰霊」をテーマに創作活動を続け、ワタリウム美術館主催の「水の波紋展2021」では岡本太郎記念館中庭の壁画を出展するなど、活躍の場を広げている作家、弓指寛治は本展でドローイングの新作を発表。また、執筆活動や絵画制作など様々な方面でその才能を開花させている池田剛介や、ユニークなタッチで特徴的な「線」を描く新進気鋭の若手作家たち。
作家たちの感性がとらえ、そして描く「線」は何を表現するのか、ぜひご期待ください。
IMAGES
ARTISTS
1912年 神奈川県鎌倉生まれ 名は漸(すすむ)
1934年 東京高等工芸学校印刷工芸科卒業
1999年 10月15日永眠、享年87
比田井天来、小琴の二男。父天来について書法を学ぶ、父歿後は書道研究機関「書学院」を継承して数千冊に及ぶ貴重な碑帖の管理にあたり、同時に書学院出版部を再開して良書の出版と啓蒙に努める。1945年、史上初の前衛書「電のヴァリエーション」を書き翌年発表し、書壇に衝撃をあたえる。東京、ニューヨークなどで個展多数。現代美術展等に招待出品、ニューヨーク近代美術館(MoMA)など著名コレクターが作品買上げ。
またプリンストン、オックスフォード等約20の大学で書道史を講演する。
1912年 神奈川県鎌倉生まれ 名は漸(すすむ)
1934年 東京高等工芸学校印刷工芸科卒業
1999年 10月15日永眠、享年87
比田井天来、小琴の二男。父天来について書法を学ぶ、父歿後は書道研究機関「書学院」を継承して数千冊に及ぶ貴重な碑帖の管理にあたり、同時に書学院出版部を再開して良書の出版と啓蒙に努める。1945年、史上初の前衛書「電のヴァリエーション」を書き翌年発表し、書壇に衝撃をあたえる。東京、ニューヨークなどで個展多数。現代美術展等に招待出品、ニューヨーク近代美術館(MoMA)など著名コレクターが作品買上げ。
またプリンストン、オックスフォード等約20の大学で書道史を講演する。
1937 年 高知県出身。1961 年 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。大学卒業後、戦後の現代美術界に大きな影響を与えた斎藤義重との出会いなどを経て、独自の抽象表現を追求。1977 年の現代版画コンクール展における佳作賞受賞で一躍注目を集め、国内外を問わず多くの展覧会で精力的な活動を重ねる。2015 年には、練馬区立美術館で初の個展「浜田浄の軌跡-重ねる、削る、絵画-」が開催されるなど、近年国内外でその評価が高まる作家の 1 人である。東京国立近代美術館、東京都現代美術館、アーティゾン美術館、クラクフ国立美術館など多数の美術館が作品を所蔵している。
https://root-k.jp/artists/hamadakiyoshi/
1937 年 高知県出身。1961 年 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。大学卒業後、戦後の現代美術界に大きな影響を与えた斎藤義重との出会いなどを経て、独自の抽象表現を追求。1977 年の現代版画コンクール展における佳作賞受賞で一躍注目を集め、国内外を問わず多くの展覧会で精力的な活動を重ねる。2015 年には、練馬区立美術館で初の個展「浜田浄の軌跡-重ねる、削る、絵画-」が開催されるなど、近年国内外でその評価が高まる作家の 1 人である。東京国立近代美術館、東京都現代美術館、アーティゾン美術館、クラクフ国立美術館など多数の美術館が作品を所蔵している。
https://root-k.jp/artists/hamadakiyoshi/
1922年長野県生まれ。1945年東京高等師範学校卒業後、49年から9回にわたり無審査自由出品形式の「読売アンデパンダン展」に出品。近代日本を代表する美術評論家の瀧口修造をはじめ、多くの評論家から高く評価された。53年タケミヤ画廊(東京・神田駿河台下)で初の個展を開催。57年「前衛美術の15人展」(東京国立近代美術館)に出品、58年に渡米し、2年半ニューヨークに滞在。帰国後は人体の形象をとりいれた連作を発表した。96年、74歳で死去。
2013年「光と影の旅人 藤松博展 −戦後美術の一断面−」(松本市美術館)を開催。
1922年長野県生まれ。1945年東京高等師範学校卒業後、49年から9回にわたり無審査自由出品形式の「読売アンデパンダン展」に出品。近代日本を代表する美術評論家の瀧口修造をはじめ、多くの評論家から高く評価された。53年タケミヤ画廊(東京・神田駿河台下)で初の個展を開催。57年「前衛美術の15人展」(東京国立近代美術館)に出品、58年に渡米し、2年半ニューヨークに滞在。帰国後は人体の形象をとりいれた連作を発表した。96年、74歳で死去。
2013年「光と影の旅人 藤松博展 −戦後美術の一断面−」(松本市美術館)を開催。
1984年長野県生まれ。2008年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。有機的に構成される絵具のマチエールや色彩が特徴的な油彩画や、ドローイングなどを制作。近年では、植物、菌類や昆虫、動物、糞便、分解や発酵など多様な生物の圧倒的なエネルギーをモチーフに、人間の根源的な欲望と矛盾とが内包された世界を描いている。近年の主な個展に「Against gravity」(Token Art Center、2020)、「Compost Paintings」(アートラボはしもと、2019)、グループ展「泥深い川」(icou、北上工務店となり、2020)、「国立奥多摩湖~もちつもたれつつ奥多摩コイン~」)(Gallery αM、2020)など。
1984年長野県生まれ。2008年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。有機的に構成される絵具のマチエールや色彩が特徴的な油彩画や、ドローイングなどを制作。近年では、植物、菌類や昆虫、動物、糞便、分解や発酵など多様な生物の圧倒的なエネルギーをモチーフに、人間の根源的な欲望と矛盾とが内包された世界を描いている。近年の主な個展に「Against gravity」(Token Art Center、2020)、「Compost Paintings」(アートラボはしもと、2019)、グループ展「泥深い川」(icou、北上工務店となり、2020)、「国立奥多摩湖~もちつもたれつつ奥多摩コイン~」)(Gallery αM、2020)など。
1978年東京都生まれ。2003年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。2007年から2009年までベルリンでの活動(2007-2008文化庁研修員)を経て、2011年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻(美術博士)修了。植物の存在をモチーフに絵画におけるイメージの発生と展開について制作をしている。近年の主な展覧会に、個展「Integrate」(CAVE-AYUMI GALLERY、2020)、個展「四角自然」(CAVE-AYUMI GALLERY、2019)、個展「Drawings」(CAVE-AYUMI GALLERY、2016)、個展(CAVE-AYUMI GALLERY、2015)、個展(アートフロントギャラリー、2013)、個展(アートフロントギャラリー、2012)、個展(gallery Teo、2011)、「project N 40」(東京オペラシティアートギャラリー、2010)、個展(gallery Teo、2009)、など。
http://naotokumagai.com/
1978年東京都生まれ。2003年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。2007年から2009年までベルリンでの活動(2007-2008文化庁研修員)を経て、2011年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻(美術博士)修了。植物の存在をモチーフに絵画におけるイメージの発生と展開について制作をしている。近年の主な展覧会に、個展「Integrate」(CAVE-AYUMI GALLERY、2020)、個展「四角自然」(CAVE-AYUMI GALLERY、2019)、個展「Drawings」(CAVE-AYUMI GALLERY、2016)、個展(CAVE-AYUMI GALLERY、2015)、個展(アートフロントギャラリー、2013)、個展(アートフロントギャラリー、2012)、個展(gallery Teo、2011)、「project N 40」(東京オペラシティアートギャラリー、2010)、個展(gallery Teo、2009)、など。
http://naotokumagai.com/
1980年福岡県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。モノや絵画をめぐる関心を軸に制作やプロジェクトを行う一方、批評誌などでの執筆を手がけている。主な個展に「現象と干渉」(MEDIASHOP|gallery、京都、2019年)、「モノの生態系」(絶対空間、台南、台湾、2015年)、「メルボルン芸術発電所」(RMIT PROJECT SPACE、メルボルン、オーストラリア、2012年)など。主なグループ展に「絵画の見かた reprise」(√K Contemporary、東京、2021年)、「Malformed Objects」(山本現代、東京、2017年)、「Regeneration Movement」(国立台湾美術館、台中、2016年)、「あいちトリエンナーレ2013」(愛知、2013)など。著書に『失われたモノを求めて 不確かさの時代と芸術』(夕書房、2019年)。
<作家コメント>
木製パネルの上にジェッソで下地を作り、その上に刷毛ではなくてスポイトを使って、一筆書きの筆触をシミュレートするように描いているものです。書の身体性も意識しているので、今回の展示にも関連するのではないかと思っています。
<出展作品「線と形、抽象/表現/絵画」シリーズについて>
・作品に「いまここ」性を与え、作者の署名として機能する身体的なストローク=線。
この身体的な連続体としてのストロークに対して刃物を入れるように解体しながら、ストロークの断片による非連続的な形を再構築する
(実際にカッターでいくつもの切り込みを入れている、そのための木製パネル)。
・支持体において:パネルの下地を露出させることで、支持体の物質性を明らかにし、作品の全体性を切断する。
・色彩において:筆触をレイヤー状に多重化することで、固定化されず揺れ動くような感覚を生み出す。
・形において:部分的に切断を入れながら筆触のもつ連続性を解体する。断片的筆触によって絵画モジュールを構成し、これらを石垣のように積み上げながら、いくつもの絵画モジュールがひしめき合う画面を作る。
1980年福岡県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。モノや絵画をめぐる関心を軸に制作やプロジェクトを行う一方、批評誌などでの執筆を手がけている。主な個展に「現象と干渉」(MEDIASHOP|gallery、京都、2019年)、「モノの生態系」(絶対空間、台南、台湾、2015年)、「メルボルン芸術発電所」(RMIT PROJECT SPACE、メルボルン、オーストラリア、2012年)など。主なグループ展に「絵画の見かた reprise」(√K Contemporary、東京、2021年)、「Malformed Objects」(山本現代、東京、2017年)、「Regeneration Movement」(国立台湾美術館、台中、2016年)、「あいちトリエンナーレ2013」(愛知、2013)など。著書に『失われたモノを求めて 不確かさの時代と芸術』(夕書房、2019年)。
<作家コメント>
木製パネルの上にジェッソで下地を作り、その上に刷毛ではなくてスポイトを使って、一筆書きの筆触をシミュレートするように描いているものです。書の身体性も意識しているので、今回の展示にも関連するのではないかと思っています。
<出展作品「線と形、抽象/表現/絵画」シリーズについて>
・作品に「いまここ」性を与え、作者の署名として機能する身体的なストローク=線。
この身体的な連続体としてのストロークに対して刃物を入れるように解体しながら、ストロークの断片による非連続的な形を再構築する
(実際にカッターでいくつもの切り込みを入れている、そのための木製パネル)。
・支持体において:パネルの下地を露出させることで、支持体の物質性を明らかにし、作品の全体性を切断する。
・色彩において:筆触をレイヤー状に多重化することで、固定化されず揺れ動くような感覚を生み出す。
・形において:部分的に切断を入れながら筆触のもつ連続性を解体する。断片的筆触によって絵画モジュールを構成し、これらを石垣のように積み上げながら、いくつもの絵画モジュールがひしめき合う画面を作る。
1968年 宮城県生まれ。
1999年 多摩美術大学二部絵画学科油画専攻 卒業
2001年 多摩美術大学大学院夜間主コース油画専攻 修了
2010年~ 山梨県甲府市在住
2019年 個展「動く色」(ギャルリ イグレグ八ヶ岳、山梨)
個展「内なる自然」(アートスペース羅針盤、東京)
2021年 梅津庸一監修「絵画の見かた reprise」(√k contemporary、東京)
その他、山梨を拠点に県内や東京、神奈川にて個展、グループ展多数。
自然の中で感じるものを油彩の色彩と筆跡で表現している。
ホームページ : https://onorie-2012.wixsite.com/works
【作家コメント】
私は普段、油絵の具で制作しています。いろいろなことを考えながら数か月かけて制作します。
ドローイングは、その手前の訓練のようなものと捉えています。
考え過ぎずに、思いつくまま色を使い手を動かしてみます。色の線をたくさん重ねます。
油彩作品では消えてしまう線が、ドローイング作品には残っています。
自然の、また私自身の、内側から湧き上がるエネルギーの軌跡が、線となって表れていると感じています。
【作品について】
空や、庭や、家庭菜園、雑木林など、日常生活で近くにある自然からインスピレーションを得て制作しました。
色がゆらめくように、また「ひかり」が感じられるように意図しました。
具体的な形を描かないのは説明を避け感覚を表現したいからです。
主にワトソン紙にアクリル絵の具で制作しています。
1968年 宮城県生まれ。
1999年 多摩美術大学二部絵画学科油画専攻 卒業
2001年 多摩美術大学大学院夜間主コース油画専攻 修了
2010年~ 山梨県甲府市在住
2019年 個展「動く色」(ギャルリ イグレグ八ヶ岳、山梨)
個展「内なる自然」(アートスペース羅針盤、東京)
2021年 梅津庸一監修「絵画の見かた reprise」(√k contemporary、東京)
その他、山梨を拠点に県内や東京、神奈川にて個展、グループ展多数。
自然の中で感じるものを油彩の色彩と筆跡で表現している。
ホームページ : https://onorie-2012.wixsite.com/works
【作家コメント】
私は普段、油絵の具で制作しています。いろいろなことを考えながら数か月かけて制作します。
ドローイングは、その手前の訓練のようなものと捉えています。
考え過ぎずに、思いつくまま色を使い手を動かしてみます。色の線をたくさん重ねます。
油彩作品では消えてしまう線が、ドローイング作品には残っています。
自然の、また私自身の、内側から湧き上がるエネルギーの軌跡が、線となって表れていると感じています。
【作品について】
空や、庭や、家庭菜園、雑木林など、日常生活で近くにある自然からインスピレーションを得て制作しました。
色がゆらめくように、また「ひかり」が感じられるように意図しました。
具体的な形を描かないのは説明を避け感覚を表現したいからです。
主にワトソン紙にアクリル絵の具で制作しています。
韓国生まれ。
2019年にThe École des beaux-arts de Grenoble (グルノーブル美術学校)にてDNSEP(Diplome National Superieur d’Expression Plastiques:造形表現に関する高等国家免状)を取得。現在はフランス、リヨンを拠点に活動。
地理的な位置の変化がどのようにしてテリトリーになるか、をテーマとして作品を制作している。自身が訪れる場所の歴史的出来事や個人的な日常の出会い、記憶、空間、時間、はかなさをその土地の記録と共に表現する。
ヨーロッパ、韓国で数々のグループ展に参加、個展も開催している。
【作家コメント】
記憶、空間、そして夢の中の都市 。
私の作業は、私の足跡に沿って始まる。フランスから韓国に、そして再びフランスに。
時には近隣の国に行き、帰る、ということを繰り返してきた。
フランスの中でもトゥールからアヌシー、そしてグルノーブルと場所を転々とした。
この数年間の旅を経て、私は自分が留まった場所とそこに関連する事象を観察し、場所の記憶と歴史、空間、時間、そして空虚さを繋ぐ媒介体となった。
常にノートを持ち歩き、一つの都市を通るたびに、その街の記録をし、それをもとにインク、色鉛筆、ボールペン、アクリルを使って、記憶を反映した地図を作った。
この主観的な地図には、その都市での個人的な記憶と、共同体の記憶が溶けこみ、記憶に残る場所、旅の中で出会った瞬間、流し聞いた話、風景、動物など、無意識に閉じ込められていたものが新たに再構成された。
これらの地図から選んだいくつかの建物の建築モデルを段ボールで作り、都市を混在させた全く新しい都市を誕生させたこともある。
記憶の場所や建築の一部分を紙、木の葉っぱなど、壊れやすい材料を使って実際の大きさに再現したりもした。
このような作業は記憶を空間化するとともに、一瞬の夢のように消える記憶の脆弱性を意味している。
韓国生まれ。
2019年にThe École des beaux-arts de Grenoble (グルノーブル美術学校)にてDNSEP(Diplome National Superieur d’Expression Plastiques:造形表現に関する高等国家免状)を取得。現在はフランス、リヨンを拠点に活動。
地理的な位置の変化がどのようにしてテリトリーになるか、をテーマとして作品を制作している。自身が訪れる場所の歴史的出来事や個人的な日常の出会い、記憶、空間、時間、はかなさをその土地の記録と共に表現する。
ヨーロッパ、韓国で数々のグループ展に参加、個展も開催している。
【作家コメント】
記憶、空間、そして夢の中の都市 。
私の作業は、私の足跡に沿って始まる。フランスから韓国に、そして再びフランスに。
時には近隣の国に行き、帰る、ということを繰り返してきた。
フランスの中でもトゥールからアヌシー、そしてグルノーブルと場所を転々とした。
この数年間の旅を経て、私は自分が留まった場所とそこに関連する事象を観察し、場所の記憶と歴史、空間、時間、そして空虚さを繋ぐ媒介体となった。
常にノートを持ち歩き、一つの都市を通るたびに、その街の記録をし、それをもとにインク、色鉛筆、ボールペン、アクリルを使って、記憶を反映した地図を作った。
この主観的な地図には、その都市での個人的な記憶と、共同体の記憶が溶けこみ、記憶に残る場所、旅の中で出会った瞬間、流し聞いた話、風景、動物など、無意識に閉じ込められていたものが新たに再構成された。
これらの地図から選んだいくつかの建物の建築モデルを段ボールで作り、都市を混在させた全く新しい都市を誕生させたこともある。
記憶の場所や建築の一部分を紙、木の葉っぱなど、壊れやすい材料を使って実際の大きさに再現したりもした。
このような作業は記憶を空間化するとともに、一瞬の夢のように消える記憶の脆弱性を意味している。
<作家コメント>
2011年にドローイングという言葉をpixivを通して知りました。
たんぱく質が作家として 目が飛び出た女の子をノートや落書き帳にかきつづけている人として認知されていることを 絵画の見かた で知りました。
線をかくことは10代から20代前半の私にとって心の平穏を保つ為にとても必要な手段でした。今は程よい距離感で絵をかくことができます。絵を描かないといられないという脅迫的な気持ちから解放されているからです。
たんぱく質の線のかたちはその時々でとてもちがって、使うボールペンやかいた場所 その場で話していた人によって線が違います。
今回 旧作・新作と参加させていただくので 見比べてみていただけるとうれしいです。
たんぱく質 ツイッター: https://twitter.com/tanppaku
<作家コメント>
2011年にドローイングという言葉をpixivを通して知りました。
たんぱく質が作家として 目が飛び出た女の子をノートや落書き帳にかきつづけている人として認知されていることを 絵画の見かた で知りました。
線をかくことは10代から20代前半の私にとって心の平穏を保つ為にとても必要な手段でした。今は程よい距離感で絵をかくことができます。絵を描かないといられないという脅迫的な気持ちから解放されているからです。
たんぱく質の線のかたちはその時々でとてもちがって、使うボールペンやかいた場所 その場で話していた人によって線が違います。
今回 旧作・新作と参加させていただくので 見比べてみていただけるとうれしいです。
たんぱく質 ツイッター: https://twitter.com/tanppaku
<作家コメント>
線を描いていくとあらわれる、星川あさこというキャラクター、同じ星川あさこなのにひとつとして同じではなく描かれてゆく。それは水の波紋のように、星川あさこを生み出していく。同じように感じた過去作と最新作を出品しました。
<作家コメント>
線を描いていくとあらわれる、星川あさこというキャラクター、同じ星川あさこなのにひとつとして同じではなく描かれてゆく。それは水の波紋のように、星川あさこを生み出していく。同じように感じた過去作と最新作を出品しました。
<作家コメント>
「形を引きとめないことが最高の快楽になりたいです 未たことない形に向かって線以外の自分が死んでいく、ドローイングのその潔さが好きです」
<作家コメント>
「形を引きとめないことが最高の快楽になりたいです 未たことない形に向かって線以外の自分が死んでいく、ドローイングのその潔さが好きです」
<作家コメント>
「SUBARU360」について
2021年僕は初めて車を買った。1968年製のスバル360を選んで買った。選んだ理由は「人を殺しそうではない」と思ったから。
そしたらびっくりするほど運転体験が違った。いろいろびっくりした。
本展出展作品について
プロジェクトのタイトルは「KAETTEOIDE SUBARU360」です。
5月に買って、整備だか何だかが長引いて引き取りに行ったのは7月末くらいでした。
そして2日間乗ったらその間に熱ダレで止まったレッカー呼んだりテールランプが落ちたり、再点検終わったと思ったら業者さんが試運転中にサイドブレーキを壊したり、ドラレコの影響でバッテリーがあがったりと困ったネタが尽きません。
僕はずっと冷汗をかいています。
<作家コメント>
「SUBARU360」について
2021年僕は初めて車を買った。1968年製のスバル360を選んで買った。選んだ理由は「人を殺しそうではない」と思ったから。
そしたらびっくりするほど運転体験が違った。いろいろびっくりした。
本展出展作品について
プロジェクトのタイトルは「KAETTEOIDE SUBARU360」です。
5月に買って、整備だか何だかが長引いて引き取りに行ったのは7月末くらいでした。
そして2日間乗ったらその間に熱ダレで止まったレッカー呼んだりテールランプが落ちたり、再点検終わったと思ったら業者さんが試運転中にサイドブレーキを壊したり、ドラレコの影響でバッテリーがあがったりと困ったネタが尽きません。
僕はずっと冷汗をかいています。
1913年、中国・大連に生まれる。5歳の時、父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。第二次世界大戦後、文字を解体し、墨で抽象を描き始める。1956年渡米し、ニューヨークを拠点にボストン、シカゴ、パリ、シンシナティ他で個展を開催。58年に帰国して後は、壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、東京・芝にある増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。1950年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。
さらに、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、墨は静かに鋭く、あるいは控えめに層をなしていった。
2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるなど、晩年まで精力的な活動を続けた。
桃紅水墨の現代的かつ先鋭的な造形表現は、多くの人々を魅了している。
(岐阜現代美術館HPより引用)
1913年、中国・大連に生まれる。5歳の時、父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。第二次世界大戦後、文字を解体し、墨で抽象を描き始める。1956年渡米し、ニューヨークを拠点にボストン、シカゴ、パリ、シンシナティ他で個展を開催。58年に帰国して後は、壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、東京・芝にある増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。1950年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。
さらに、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、墨は静かに鋭く、あるいは控えめに層をなしていった。
2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるなど、晩年まで精力的な活動を続けた。
桃紅水墨の現代的かつ先鋭的な造形表現は、多くの人々を魅了している。
(岐阜現代美術館HPより引用)
1950年東京芸術大学美術学部油絵科で学ぶ。新制作派協会展を中心に出品。1952年第1回フランス政府給費留学生として渡仏。サム・フランシス、ミッシェル・タピエらと交流しアンフォルメル運動に参加するとともにこれを日本に紹介。重厚なマチエールを繊細な線で覆う独自の非具象絵画を確立。詩画作品などを試みた後、1983年頃から日本の伝統美を蘇生させる「花鳥風月」シリーズに着手、1990年代後半に「広島」や「長崎」などの戦禍の図に取り組んだ。20世紀末には死を目前に大きく作風を変化させ、当時社会現象ともなっていた「コギャル」を題材にした新作を発表する。彼女たちを「現代の日本で唯一オリジナルな存在」と絶賛した今井は、「21世紀は女性の時代」と語った。当館所蔵の≪夜の騎士≫(1956)は、在仏中に制作されたもので、≪夜の騎士≫と題されてはいるものの、具体的な対象物の残滓は全く払拭され、画面には物質的な油彩絵具のマチエールと渦巻くような筆触の跡だけが残されている。
(京都国立近代美術館HPより引用)
1950年東京芸術大学美術学部油絵科で学ぶ。新制作派協会展を中心に出品。1952年第1回フランス政府給費留学生として渡仏。サム・フランシス、ミッシェル・タピエらと交流しアンフォルメル運動に参加するとともにこれを日本に紹介。重厚なマチエールを繊細な線で覆う独自の非具象絵画を確立。詩画作品などを試みた後、1983年頃から日本の伝統美を蘇生させる「花鳥風月」シリーズに着手、1990年代後半に「広島」や「長崎」などの戦禍の図に取り組んだ。20世紀末には死を目前に大きく作風を変化させ、当時社会現象ともなっていた「コギャル」を題材にした新作を発表する。彼女たちを「現代の日本で唯一オリジナルな存在」と絶賛した今井は、「21世紀は女性の時代」と語った。当館所蔵の≪夜の騎士≫(1956)は、在仏中に制作されたもので、≪夜の騎士≫と題されてはいるものの、具体的な対象物の残滓は全く払拭され、画面には物質的な油彩絵具のマチエールと渦巻くような筆触の跡だけが残されている。
(京都国立近代美術館HPより引用)
大阪市に生まれる。1927(昭和2)年頃より詩作を始め、戦前は『神戸詩人』、戦後は『火の鳥』『天秤』同人として詩を発表した。1938(昭和13)年頃より洋画を始め、中之島洋画研究所で学ぶ。1946(昭和21)年第1回行動展に出品、以後毎年出品を続け、1952(昭和27)年会員となる。この頃具象をはなれ、抽象画を描き始める。1958(昭和33)年第3回現代日本美術展で優秀賞受賞、1960(昭和35)年グッゲンハイム賞美術展など海外展にも出品。1964(昭和39)年行動美術協会を退会、1968(昭和43)年より大阪芸術大学教授。1965(昭和40)年西宮市民文化賞、1967(昭和42)年兵庫県文化賞、1986(昭和61)年大阪芸術賞受賞。当館では1996(平成8)年に「津高和一 追悼展」、2011年に「生誕100年 津高和一 架空通信展」を開催。
(西宮市大谷記念美術館HPより引用)
大阪市に生まれる。1927(昭和2)年頃より詩作を始め、戦前は『神戸詩人』、戦後は『火の鳥』『天秤』同人として詩を発表した。1938(昭和13)年頃より洋画を始め、中之島洋画研究所で学ぶ。1946(昭和21)年第1回行動展に出品、以後毎年出品を続け、1952(昭和27)年会員となる。この頃具象をはなれ、抽象画を描き始める。1958(昭和33)年第3回現代日本美術展で優秀賞受賞、1960(昭和35)年グッゲンハイム賞美術展など海外展にも出品。1964(昭和39)年行動美術協会を退会、1968(昭和43)年より大阪芸術大学教授。1965(昭和40)年西宮市民文化賞、1967(昭和42)年兵庫県文化賞、1986(昭和61)年大阪芸術賞受賞。当館では1996(平成8)年に「津高和一 追悼展」、2011年に「生誕100年 津高和一 架空通信展」を開催。
(西宮市大谷記念美術館HPより引用)
年齢、性別不詳。
2021年に梅津庸一氏がキュレーションした企画展「絵画の見かた -reprise」に出展し、話題を呼んだ新進のアーティスト。「毎日のお絵描き」のように、日々目にするもの、感じたものを、ユニークな線で表現する。
ペロンミ ツイッター:https://twitter.com/pelonmi
年齢、性別不詳。
2021年に梅津庸一氏がキュレーションした企画展「絵画の見かた -reprise」に出展し、話題を呼んだ新進のアーティスト。「毎日のお絵描き」のように、日々目にするもの、感じたものを、ユニークな線で表現する。
ペロンミ ツイッター:https://twitter.com/pelonmi